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私有地

2019.11.28-12.11 SCOOL
撮影:本藤太郎
撮影:本藤太郎
撮影:本藤太郎

私有地について​
私の物、所有、そういったことに興味がある。これは私の物と思える感覚。しばしば私たちは公共空間を私有地化する。飲食店にてお金を支払い、着いたテーブルの上に書き物や本などを広げて領土を確保する。あるいは電車の中、仲間内で大声で騒いでいるとき、当人たちは無意識であったとしてもそれは周囲から見ると「彼らの領地」のように思える。他者の踏み入れない領域。あるいは、その場を支配する権利を当人が持ち合わせている場所。公共的空間に一時的に生まれるものも含めて、私有地とはそういうものだと考える。
 土地や物に限らず、他者を“所有”することもある。たとえば、恋人や子供(あるいは別にその他の関係のことも考えられるが)、彼/彼女らが自分の意図しない行動をし苛立ったとする。この行為のもとにあるのは「自分の意図しない」と考えている感覚、すなわち「制御することのできるなにか」と他者を捉えている感覚ではないだろうか。制御できるもの、コントロール下におくことができるものと他者を捉えること。それもまた他者を所有する振る舞いの一端のように思う。ここに暴力(的な関係)が潜むことは想像に難くない。その感覚は私物ではないものにも向かう。理解できないこと、私の解釈の外にあること。そうしたものを私に見えるところから排除しようとすることで、私の領地を保とうとする。ふるまいは全く真逆のようで、実のところ相似形にあるのではないだろうか。
 演劇『私有地』は、加害の立場を想像することが必要なのでは、という思いでこれから出発する作品だ。電凸も、放火魔も、障害者の殺害もあるいはその他多くのことも、攻撃を受ける側ではなくて攻撃をする側の感覚を想像することから出発したい。当然それらは私の中に潜んでいて(あるいは表立っていて)、すべてを同列に扱うことはできないけれど、そのどこかに「所有」の考えがある気がする。そんな感覚を手がかりに出発してみたい。

シリーズ:加害について
加害の立場に立つことを想像する。そうなる可能性は常に私の中にある。私は加害の立場に立ち得るし、今までも既に立ってきた。そのことを想像する。
 アニメーションのスタジオに火を付けることや、福祉施設でたくさんの人々を殺める可能性のことを想像する。繰り返すが、そうなる可能性は私の中にある。可能性は可能性のままに留めなくてはならないし、そうなり得る私の身体とうまく付き合っていくことが重要だ。そう思ったのは、日々目にする情報の多くが、被害の目線から語られることの違和感からだ。「なぜ起こったか」を個人の人格やキャラクターの問題に収斂させ、「彼/彼女は私ではない」と言ってのける言葉の危うさからだ。そうではない「彼/彼女は私であり得る」ことからはじめるほうが、よっぽど正気を保っていられるような気がする。
 そのために演劇でできることはなにかと考える。どうせやるからには数年かけて、シリーズ化していこうと思う。

公演情報

出演
  • 村岡佳奈
  • 渡邉時生(以上、屋根裏ハイツ)
  • ​寺田凜(青年団)
スタッフ
  • 作・演出:中村大地
  • 制作・宣伝美術:渡邉時生
  • 主催:屋根裏ハイツ

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